河北潟は内灘町、津幡町、金沢市そしてかほく市にまたがり大崎地区で宇ノ気川が注いでいる。 西田幾多郎も幼少の頃は魚釣りや川遊びをしたであろう身近な潟だった。 平安時代より河北潟を利用をした米等の物資輸送が盛んに行われており、江戸時代には豪商銭谷五兵衛が干拓に着手したが成功せず昭和39年に着工し60年に完工する。 昭和中旬頃は潟の周りには舟小屋も多く並び漁師も大勢いましたが、今はその面影も無い。