昔からの町並み、

高松町中町通り

加賀百万石の城下町より能登半島を貫く能登街道の入口に位置して、能登と百万石の文化が交わった宿場町として、風情のある家並みが今も面影として残されている。
北部の大海地方には弥生時代の遺跡が在り、南部の額神社には江戸時代から続いて来た大相撲の土俵など祖先が築いて来た文化が今も大切に保存され、重要な物件は文化財として指定されている。

砂丘そして浜・・・

金沢市粟崎町から内灘町そしてかほく市に至るこの砂丘は、防風林として明治初期に造られ今日に。
防風林としての砂丘も、昭和の中旬頃より波の侵食が始まり砂丘も浜も小さくなって来ている。
砂丘も浜も大きかった頃は、生活の中心が海であり浜で、町内会の運動会が行われ、
日本海をバックに素足で走り、転び、笑い声までが波間を伝わっていた。
そんな砂丘にもハマナスやイソスミレ等の花が咲き5〜6月にはニセアカシアの白い小さな花が
咲き人々の心を和ませていた。